心について
    
    犬には非常に多くの品種がいて、人間側の一方的な要求から、原種に大幅な改良を
   
加えられた犬達がいます。なかにはこの章で述べる、身体的特徴に、当てはまらない
   
犬達のいることも、ご承知おきください。
     Andy


 我々は、「心を開く」「気(心)をひき付ける」「心から愛する」等と、
日常的に「心」という言葉を使う。
しかしながら、あらためて「心とは何か?」と問われると、その答えに窮することが多い。
あまりにも「あたりまえ」として使われているが故に、それを深く理解する必要がなかったのかも知れない。
これこそが、後に出てくる進化の過程での退化(後退)現象?かも知れない。

 さて「心から誓う」「心から愛する」「心を込めて」等の、ひとつのボディランゲージとして、
我々は、左胸に手をあてたり、当てた手を相手に差し出したりする。
心と命を、同等の価値観で表現する人間独自の表現法からすると、「命を賭けて」
あるいは「命と同じくらい」という表現であり、胸にハート形の何かがあるなどと思っている人は、
いない筈である。

 心とは五感あるいは六感と言われる、感覚によって収集された情報が、脳に蓄積されて出来た、
いわば、情報の沢山はいったコンピューターのディスクのようなものと、理解すれば良いのかもしれない。
だから、間違った情報や方法でのインストールは、のちのち大変な混乱を招く。
以上の事からすると、心には音があり、形があり臭いがある。そして味や痛さまでも…
だから、心のメカニズムを理解する上においては、上記した五感覚を、
多少なりと理解する事が、必要となってくる。

 まず関わりを持つのは「感覚心理学」であるが、それは感覚生理学(感覚器官の性状と機能の科学)に
密接な関連をもっている。
ただし残念ながら、私はこの種の犬の専門書を、いまだ見た事がないので、これから先の話には
個所によって推測の部分も含まれる。

 訓練において、密接な関連を持つ
「視覚」「聴覚の領域から見てみると、
すでにその構造と配置の違いから、人と犬とでは、見え方や聞こえ方に相違のある事は、
誰もが百も承知である。

 まず配置の差異から比べると、人間の
視軸は前方へ輻輳しているのに対し、多くの犬の視軸は両側へ
発散している。つまりそれは、別々に作用する事が出来るのではと推測される。
つまり我々が、両眼を一つの中心点に向け、立体的に知覚する事により、きわめて正確に距離を測り、
その形状を認知する事に対し、多くの犬は、視軸が発散的に位置する事により、一点を両眼で同時に、
しかも瞬時に照準する事が、我々より得意でないのでは・・と推測される。(決して出来ないというのではない)
しかし、この様な眼の配置は、広い視野を手に入れるという事において、人間のそれに勝っていると思われる。
そしてこれらは、全て個々の動物の生活様式への、意味ある適応である。

このように、視軸ひとつをとって見ても、人間と比べると、勝っている部分、劣っている部分とが同居している。
これはすべての差異についても言えることである。

 我々ドッグトレーナーはハンドシグナルとかボディーランゲージなどと言った視覚にうったえた、
シグナル訓練方法をよく取りいれる。
この時重要になる事のひとつに
運動視(動体視力)がある。
それは個々の動物種によって異なる、いわゆる
視覚モメントにもとづいている。
走る速さが速い動物種ほど、視覚モーメントは短い。

 人間の視覚モメントは18分の1秒であり、人間は運動体を18分の1秒の時間隔までなら、
互いに弁別できる。映画のフイルムも、その様に出来ていて、1秒に18枚以上の画像が走行すると、
もはや、それを分離出来ず連続した運動のように知覚する。

 もちろん犬は人間より短い視覚モメントを持っており、反対にリクガメやカタツムリ等は
長い視覚モーメントを持っている。
又これは同種間においても、俊敏な個体とのろまな個体とでは、
視覚モメントに多少の差異があると推測される。

 その結果、短い運動視を持つ個体は、ゆっくり動く物体を、
「動く物体」として認知しづらいと言う結果をもたらす。
ハエなどを取る時に、ゆっくりと手を近づけても、それを動く物体として知覚出来ないというのが
それであり、犬なども同様である。
ただここで問題となるのが、形態の変化であるが、その物体が
形態変化をともなうと、
ハエも犬も容易にそれを動く物体と知覚する。

 地球上において通常、形態の変化を伴わずに動く物体など、太古の昔からあり得なかったからであり、
これを動く物体として認知する機能等、そなえる必要がなかったのであろう

 そのほか、視覚においては「光輝組織」「色覚」なども一考の必要性があるが、ここでは省く事にする。 
その他、犬の感覚器官で忘れてはならないのが嗅覚であるが、これも数々の書物に、
詳しい説明がなされているので、ここでは割愛する。
犬の色覚域と、人の色覚域を比べる時、単純に犬のそれを、我々はモノクロの世界と表現しているが、
その表現法を使うのであれば、我々の嗅覚域はモノクロで、犬の
嗅覚域は、フルカラーの素晴らしい
世界とでも言っておこう。

 人間と多くの犬との、視覚における最大の違いは、我々が副輳して見るのに対し、
彼らは多少発散的に見るのではと言う事にあったが、「聴覚」においては、まさにその逆の事がうかがえる。


 我々が横に固定して付いた耳で、発散的に音をとらえるのに対し、多くの犬は、ひとつの点に向けて
動く耳で輻輳して音をとらえ「立体音」を聞くのではと想像される。
この事から想像すると、犬は我々が訓練の際、発する音(コマンド)に対し、的確なまでにその物体
(この場合はハンドラー)までの、距離や移動方向を、推測出来るのではと思われる。
この事から、アジリティ競技等における、ハンドラーの体の向きやコマンド音の流れが、
いかに犬に影響をおよぼしているかが解かる。

 あらゆる動物は、進化(適応)の過程で、それぞれの立場に有利な、身体的機能を手に入れようと
努力をし、それを手にいれてきた。
馬は広大な草原とスピードを手に入れるために、俊足で駆け回るのに適した、
摩擦面(中指一本で立つ)の少ない足や、横に付いた目、楕円の瞳孔…。
犬は捕食生活に必要な、俊敏さやするどい嗅覚等。
しかし、その為に失われた(後退した)数々の機能がある事も忘れてはならない。
上記した犬の諸特性・人間よりやや広い視野、短い視覚モーメント、すぐれた聴覚、等々は
心的特性に大きく起因することになる。


@
 視覚情報から来る、動きに対する心的変化には、早い動きに対して興奮(危険・喜びなど)を、
遅くゆっくりした動きには
やすらぎ安全・ただし注意などを感知させ、聴覚からのそれは、
大きく断続的な音
に対して
興奮危険・喜びなどを、弱くゆっくりした長い音に対しては、
やすらぎ安全・ただし注意など
感知させる。
また
触覚も同様に、強く断続的な刺激は
興奮危険・歓喜などを、弱くあるいはやさしく長い刺激は、
やすらぎ安全・ただし注意などを感知させる。
そしてこの事は、自己までの距離や認知度等にも大きく左右され、(危険・歓喜)(注意・安全)等という、
一見相反するような現象をも引き起こす。


A
 さて、あらゆる動物は、自己の中に
ガッチャゾーンを所有している。
それは、種や個体の身体的能力等により大きく異なる。
いわば敵から身を守る場合、これ以上近づかれては「マズイ」というセーフティゾーンの事である。
そしてこれには、ふたつのサークルがあると推測される。

 手許までは来るが、からかうような素振りをして、なかなか捕まらない犬がいる。
また、引き紐の範囲内であれば従順な犬が、その範囲外に出ると、
とたんに不従順な姿勢を見せる事が良くある。
この時のサークルこそが、この犬の
第一のサークルでこの半径の長さは、ほぼ引き紐の長さと一致する。
ボクサー(人間の)などで言う「リーチの長さ」と、言った方が解かりやすいかもしれない。

 また,ロングリードを付けられた犬が、その範囲外に逃げられない事を悟ると、
急にその距離を自ら縮め、ハンドラーに近づいてくる事がある。
このような時の有効的なロングリードの長さこそが、この犬の
第二のサークルである。
よく街を歩いていると、遠巻きに吠えかかってくる犬がいる。
知らぬ振りをして歩くと、引き紐の距離位まで近づいて来て、更に吠えかかる。
この遠巻きの距離(長さ)こそ、その犬の第二のサークル,更に近づいてきた時の距離が
第一サークルの最先端なのであろう。

 動物を調教・訓練する者にとって、このサークルは、しばしば利用される。
我々は、相手のガッチャゾーンに踏み込んだり、自己のゾーンに相手を招き入れたりする事で、
訓練をよりしやすくする事がある。

 相手のゾーンに踏み込む事は、相手に対し危険(脅威)を感じさせると同時に、
それを容認させる事で、服従の意識を獲得する事も出来る。

先人はこのサークルがある事を、経験を通して熟知していたのであろう。
1,5m前後の引き紐の半径を持つ一つ目のゾーン、長紐の長さの10m前後の2つ目のゾーンの事を…。

 もしこのゾーンを色分けするとすれば、一つ目は
(最も危険)、二つ目は(注意・やや危険)・
ゾーン外はさしずめ
と言う事になるのであろう。

しかしこの事もまた、情報から来る心的変化で述べた様に、情報の認知度により、大きく異なる。
(危険が歓喜)(安全が注意)という様に。


 目の前に現れた、いつもと違う格好の主人を見て、気が狂わんばかりに吠えかかる犬がいる。
もしこの時、慌てた様に激しく動き、声を荒げるなら、もはやこの犬は攻撃という
最終判断をせまられる事となる。
それが主人であると認知する間も与えられぬままに。
しかし主人の平静な態度と聞きなれた声に、一旦主人と認めたならば、いつも以上に喜び、
時には喜びや悔悟のあまり失禁する犬さえいる。
その後の大きな声と激しい主人の動きは、もはやこの犬にとって歓喜以上のものとして、
心を揺らす事となる。
(Aのそれぞれのゾーンの中で、@の現象が起きた時を想定して考えてみて下さい。)

 心身関係と密接なつながりのある事に、
「逆調整」というのがある。
具体的に説明するなら、まず身体的な領域から例をあげよう。

 例えば人間の血管にブドウ糖を注射したら、当然の事ながら血糖値は高くなる。
しかし注射直後より、インスリンの分泌が始まり数時間以内に、
注射以前の状態に戻そうと自己調整作用をする。
その結果、単に血糖値は注射以前の水準に戻るのではなく、むしろそれ以下にさがるのであろう。
もうひとつ例をあげると、瀉血を行うと当然の事ながら血圧は下がる。
しかしここでも又、数時間後には再び血圧は上昇し、瀉血以前の値に上昇するのである。
これが「逆調整」である。

 心理面においても、これと同じ様な事が伺える。
深い悲しみの後には、しばしば底なしの陽気さが続く事がある。
極端な恐怖を味わった後には、言い知れぬ安らぎのある事がある。

 ある極端から、逆の(他の)極端に陥るような傾向が、一種の「逆調整」である。
動物もまた、これらの生理学的・心理学的法則性に支配されており、我々はそれを利用する事ができる。

 たとえば、ハウスに入る事を、かたくなに拒否する犬がいる。
飼主は「この子はキット、せまい小屋に入るのが、イヤなんだ…」と、あきらめてしまう。
しかし、無理にでもハウスに入る事を実行させた後、ハウスから出してやるとする。この時犬は、
必ず全身で、喜びを表現する。
この様な犬の心の変化を、かしこいトレーナーならば、見逃さない。

 なぜなら、「ハウスから出る喜びは、ハウスに入った犬でなければ味わえない。」と言う、
ごく当たり前の事の、深い意味をよくしっているからである。


 そして、この事をうまく利用する事により、もはやこの犬は、ハウスに入る事に喜びすら感じる様になり、
扉が閉まっているにもかかわらず、こじ開けてでも入ろうとする。
現に、私のスクールの生徒さん達の、多くの犬が、「自らドアーを開け、喜んで入り、
自らドアーを閉める。」といった、ほほえましい光景をも見せてくれる。

 ハウス否定派の方もいる。わたしも決してハウスを奨励する訳ではない。
強制訓練等においても、賛否両論ある。ある種のドッグスポーツをする時の、
服従訓練についてもまた、賛否がある。
しかし、すべての考えや感じ方には、必ず相反するものが同居する。
逆の心理も理解して、あるいは理解させてこそ、健全な身体と心を獲得する事が出来ると、
わたしは信じている。


 わたしは、色々な問題にぶつかった時、この「逆調整の法則」を良く利用する。
そして「逆もまた 真なり」という言葉を、訓練の座右の銘にしている。
この言葉は、何故か良くわたしを助けてくれる。

 ここまでで述べた事が、動物の心身的特性をよく理解し、それらの潜在的な意識に訴えかける訓練法と
いう事であれば、この訓練法は、さしずめ「サブリミナル・テクニック」とでもいえるのであろう。

このサブリミナル・テクニックの原理を説明するはずの、この章でしたが、やはり

「言葉だけで、あなたの心に訴え、理解させる事は困難」
だった様です。
こんど機会があれば、
「あなたの目や耳や身体に訴え、わたしの言葉の真意を伝えて見たい」と思っています。  

                                                
―Andy−

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